第25回定期総会・記念講演会 “福島芸術ホール構想で考えたこと” ①

講師:小林吉則建築計画室代表:小林吉則さん

無名塾・仲代達矢さんと出会って

約20年前、石川県能登に「能登演劇堂」という演劇専用の公共ホールができました。無名塾の仲代達矢さんが監修され、私は最初の構想段階から、設計・工事中の監理、引渡しまで担当させていただきました。そんなご縁で皆さんからお誘いいただき、大変嬉しく思っています。

私自身が本格的な演劇専門ホールを設計したことは、正直当時も、その後もありません。

例えば皆さんは2000万、3000万の住宅を建てる時には、なるべく経験の多い実績のある設計者に頼むことが多いと思うんですね。ですからその当時地元の設計事務所のスタッフだった経験の無い私が設計担当者に選んでいただいた時、やり切れるか本当に不安でした。その時、仲代さんとその当時まだお元気だった奥様の宮崎さんがおっしゃったんですね。「下手に染まっていない方がいい。手馴れていると設計者の自己主張が強すぎて、素直に聞いてもらえないことも多い。極端に言うと何も知らない方がいい」。何も知らないと言われると喜んでいいのか、悲しんでいいのか悩んでしまいましたが、監修に、仲代さんの名前が出る以上、適当にやるわけにはいかない、とにかくがむしゃらにやろうと決心しました。仲代さんご夫妻、無名塾の皆さん、スタッフの皆さんが本当に献身的に力を貸してくださって、「君は無名塾のスタッフの一員として関わってくれればいい。何でも言ってくれ。」と我々の稚拙な質問にも誠実に答えてくださいました。

話が大げさになり過ぎて、私がずっと旅公演に付いて回ったと、伝説のようになっているんですね。事実ではあるんですが、無名塾の100ステージ全部見たわけではなくて、実際は旅公演の一割位付いて回りました。本当は邪魔で邪魔でしょうがなかったと思いますが、本当にバックステージ、裏側からどんな動きをするか見て回り、教えて頂きました。

 「福島芸術ホール構想で考えたこと」を話す場合、基本的には、能登演劇堂の設計の際に考えたことがベストになります。ホールばかりではなく、その後の私自身の設計活動にも大きな影響を受けました。基本的に何かというと人です。人を作る、その場を作る、それが非常に大事で、芝居小屋は、箱を作ることが目的ではないということです。どれだけお金をかけて素晴らしい物を作ってもそれが活かされなくては意味がありません。そこには人が存在して、生き生きと活動する人がいて、それが渦巻きのように波及していって、他の人を鼓舞して、新しい出会いが生まれていく、そのための施設として芸術ホールはあるべきではないかと思っています。

 

能登演劇堂がめざしたこと

能登演劇堂にはぜひ来ていただきたいですね。今年のロングラン公演「ロミオとジュリエット」のツアーを企画されているそうなので、確かに遠い場所ですが、ぜひご参加ください。

能登演劇堂のある中島町は、今は合併して七尾市になりましたが、当時は6000人位のものすごく過疎の町でした。里山の風景が美しく、内海なので比較的静かな海がきれい、そして牡蠣の養殖が盛んな所です。

1986年、そんな能登半島に家族旅行でお出でになった仲代さんが「こんなに恵まれた自然の中でお芝居の稽古が出来たら!」とおっしゃったのがきっかけで、「じゃあぜひ合宿しませんか。」とお誘いしたのが始まりだと聞いております。当時はお芝居に関する施設はありませんでしたし、最初は無名塾を誰も知らなくて、何か怪しげな集団だと思われたそうです。でも塾生が一般家庭に民泊し、町の公民館を借りて合宿するスタイルをとっていくうちに、礼儀正しい塾生と、ものすごく厳しい練習風景を見て、だんだん受け入れられるようになり、更には町民の間に演劇に対する関心が高まっていったのです。

当時日本の各地で地域に即したホールをつくる計画があり、そんな時仲代さんが「全国を回っても、演劇に適した本当にいいホールって実は無いんだよ。」というお話をされたことがきっかけで、当時の町長さんが「じゃ中島町につくりませんか。」とおっしゃって、演劇専用ホールをつくろうという機運が出て来たんですね。建築雑誌に発表される建築や、有名な建築家によるホールはいいホールだという先入観を持ってしまいますが、必ずしも「観やすく、演じやすく、使いやすい」ホールとは言えない。旅公演で、様々なホールでお芝居をやらなくてはならない仲代さんをはじめ、無名塾のスタッフから、プランや使い勝手の悪さなど、様々な問題点について指摘を受けました。目からウロコが落ちるような感じでした。

縁あって設計を担当させていただいて、照明、音響、舞台監督、演出の方と一緒に全国を回ってみますと、客席、ホワイエ、客待ちの空間などには物凄く力が入っていても、バックステージとかは、コンサルタントにお任せだったり、意外とさらっとやってしまっているホールの多いことが分かってきました。こちらの会のスローガンである「観やすく、演じやすく、使いやすい」というのが正にその通りなんですが、実はそういうホールがほとんど無かったのです。お客さんは高いお金を払ってインテリア、豪華なシャンデリアや内装を見に来ているわけじゃない、お芝居が観たくて来ているんですね。

ただ、公共ホールということで、芝居しかやらないというわけにはいかないあたりは実はものすごく悩みました。じゃ何を優先するか?舞台に見切れが無いとか、舞台暗転の時は舞台が真っ暗になって欲しいとか、あくまでそういう基本を中心に、本当にオーソドックスに、普通につくることを心がけました。特に奇をてらわず、役者さんが最高のパフォーマンスをするために集中できる環境づくり、現場を仕切るスタッフさんが使いやすい環境づくりに集中しました。そのためにいわゆるコンサルタントではなく、現場のスタッフと一緒にワークショップをし、議論する機会を持てたのは物凄く良かったです。

能登演劇堂は、公共ホールなので、特出してお金をかけてはいません。いらないものをそぎ落として、必要なものだけ、本当に一番使いやすいものだけを採用しました。ただどうしても機材は日進月歩がありますし、痛みますから、交換していけばいいわけです。

仲代達矢さん監修!「能登演劇堂」のこんな所が自慢!!

スケールアウトしたでっかい箱を作っても里山の景観が壊れてしまうので、周りの地形に呼応するように計画しました。殺風景というか、ひと気があまりないので、イベントがある時は、ホールをガラス張りにして明かりがこぼれるようにしました。

交流ホールは少しでも人の気配が感じられるように考えました。オープンスペースを広く設けて、あいまいな部分を積極的に作ることで、なるべく多くの人が来るよう提案しました。まず竣工バーティをやってみたら、ことの外評判が良くて、今もかなりここで交流活動がなされています。近くにレストランや食堂がないので、お芝居がある時はお弁当やパンを売ったり、地域の方がたくさん接待に来られたりします。

ホワイエ③はお芝居も何もやっていない時は入れません。勿体無いので極力小さくして、出入り自由にしましょうと提案しました。最初はタダで入る人がいるんじゃないかとすごく抵抗を示されました。でも万が一、万が一と言って肩苦しくするよりも、そういう人がいてもいいんじゃないか、空いた席にこっそり座っていようが、その分観客が一人増えたと考えればいいんじゃないかと思ったんですね。今、チケットで中に入って座席を確保したら、外に出てお茶を飲んだり、お弁当を食べたり、または展示コーナーをご覧になったり、何の違和感もありませんし、ただで入ってトラブルがあったということも聞いていません。そんな風に出来るだけ使ってもらえる場所を作る提案をしました。

客席は、本当にシンプルなシューボックス型、ワンスロープの650席です。地域性を考慮して客席ピッチを少し長くしたせいもあって空間は広めですが、どの席に座っても前の人の頭で舞台が見えないということはありません。客席の幅は、プロセニアムの間に全て入るようになっていて、見切れは無しということです。椅子も高級なものではありません。実は高価な椅子よりも安い椅子の方が音響性が高いんです。ちょっと強がりですが。(笑)

音響反射板がありません。特に音楽関系の方からクレームがついたこともありました。ただ舞台にとってすごく必要なところに音響反射板があると舞台セットが組めないんですね。それでピアノは置きますが、音響反射板は後置きというか、仮設でしつらえるので、何とか対応させて欲しいとお願いし、納得していただきました。本当にいい音で聴こうと思ったら、音楽ホールと住み分けして使えばいいと思いますね。

電動式のバトンは重量バトンだけで、そんなに予算はかけられなかったので、大部分は手動式です。

音響・調光調整室から舞台全体が見えなくても、遠隔操作やコンピューター制御で何とかなるというコンサルタントがいらっしゃいますが、「役者はコンピューターロボットではない。タイミングがずれたり、台詞を間違えたり、間合いの取り方が違ったりすることもある。だからその時のタイミングで、音や光を入れたり、落としたりするので、やっぱり舞台全体が見えないと駄目だよ。」と助言されました。その辺も緻密にやりました。

楽屋は旅公演の役者にとっては自分の部屋であり、家なんですね。だから入り口には暖簾がけを設けました⑤。仲代さんのアドバイスです。仲代さんのアドバイスはその他にも✿汗でびっしょりになった重い衣装を掛けるのに耐えられる丈夫なパイプ棒がたくさん欲しい。✿小道具を置く棚は、忘れ物をしない様、一目で分かる電車の網棚の様にして欲しい。✿化粧台にはゴミ袋などを貼り付けたいので、ガムテープを貼ったり、はがしたりできるようにして欲しい。✿楽屋の廊下は旅公演で持ち歩く大道具などの箱を置いてもすれ違えるだけの幅を取って欲しい⑦。✿洗濯、乾燥ができる部屋が欲しい。等々・・・本当に細やかでした。ただ楽屋をあまりに質素にしちゃったので、今思えばもうちょっと温かみのある部屋でも良かったかな、と思っています。廊下の幅は約3mあります。

北陸特有の雨、風、雪の悪天候の中でも、大道具のスムーズな出し入れが可能なように搬入口⑧は大型のウィング車が丸ごと入る大きさです。影に隠れていますが、実は一番評判がいい所です。シャッターをつけることで遮音性も上がっています。実はここで大道具も作っています。ウィング車の荷台と舞台は完璧にフラットで、そのままずうっと突き抜けて行くと楽屋です。様々な制約がありますが、これをやり切っていないホールがかなり多いですね。リフトを使ったり、階段を降りて楽屋に行くような場合は、すごいストレスになって、お芝居のパフォーマンスに影響するんじゃないかと思いますね。ですから特にこだわりましたし、皆さんにも是非やって欲しいことです。

 

 

 

なんと舞台の後ろが開きます!

①は舞台後ろの外の舞台から見た所まだ、庭が未完成の段階です。②は客席から見た舞台の写真です。舞台後ろの扉が観音開きに開きます。舞台の後ろには外の舞台があって、借景としての庭、雑木林の風景が広がるという、ここだけにしかないもので、この劇場の売りです。

仲代さんは、外でお芝居ができる、火や水も使える、しかも観音開きで開けたいということを早い段階から希望され、イメージを持っていました。ところが観音開きにすることをどの業者も取り合ってくれません。困って、困って、困った時に、本当に困れば助けてくださる方がいるもので、造船の業者さんがフェリーのハッチの技術を使ってやってくださいました。油圧式のモーターがついていて、半月形にぐるぐるっと回ってオープンする、かなり凝った造りです。扉の大きさは、幅15m、高さ9m位。遮音性も設計値よりもいいデータが計測されました。

後ろの田んぼと畑を隠して後方の山と一体化させるために木も植えたいが、予算は無い。熱血漢の植木屋さんを何とか説き伏せ、役場の了解を得て、町有地の山に私も一緒に入って実際に植木屋さんと木を選びました。山はただ単なる自然地形じゃ駄目、舞台の演出に使える仕掛けにしたい。私が図面を描いては築山を移すという作業を繰り返し、舞台としての庭となるよう、演出家の助言を得ながら何度も作り直しました。最初は渋っていた植木屋さんも最後は徹底的にやってくれました。

当時は、水はけがすごく悪かったのですが、良くする材料はとても高くて使えない。そこで目を付けたのが牡蠣の貝殻です。それを敷き、その上に土を入れました。それは良かったのですが、夏は特に臭い。(笑)焦りました。最初の1年間はちょっと辛かったですね。今は完璧に匂いません。これも当時の課長さんが牡蠣貝の業者さんに話をつけてくださって実現できたこと。どんどん風景が変わり、右は今の様子です。散歩すると気持ちがいいですよ。子ども達も散歩しています。

住民参加の素晴らしい舞台!

舞台「いのちぼうにふろう物語」

「いのちぼうにふろう物語」は、第1回ロングラン公演です。基本的には無名塾との交流がありますが、ロングラン公演の場合は、中島町の自主公演にしています。地元大工さんなどがスタッフと一緒になって舞台を作り、交流も図れます。クライマックスでは、舞台後方の扉を開け放ち,中島町民のエキストラが御用提灯を持って登場。吊り上げ戸や引き分けでは演出にならない、じわじわと観音開きに開けて、という仲代さんのこだわりです。

舞台「マクベス」

「マクベス」⑫は、能登演劇堂完成の杮落としにやりたかったと聞いているのですが、馬を連れて来ることの難しさ等で先送り、2009年ついに実現。中央の騎馬姿が仲代さんです。地元の方が大勢出演しますが、初日は動きもぎこちないのですが、終わり頃になると背筋も伸びて本当に格好いいんですよ。

森の奥にある扉が開くと山があるんです。砂を敷いて、整地して、馬を走らせました。火も焚くんです。これは相馬の馬です。実は演出の方が福島県出身で、それが縁で相馬野馬追の方々が来てくださいました。その後3.11の東日本大震災がありまして、これが縁でと言ったら不謹慎な言い方かも知れませんが、何名かの方はこちらの方に避難されていると聞きました。やっぱり本物の馬が見られるというのはすごいことですよね。

「演劇の町」アッシュランドを訪ねて

「演劇の町」を世界にアピールしたアメリカ・オレゴン州のアッシュランドを紹介します。中島町の方々も年に3、4人ずつ視察に行き、かつては提携して公演をやろうかという話もあったようです。

ポートランドから南に400キロ位の丘陵地で、温暖な所です。どちらかと言うと第一線を退いた方が悠々自適に過ごされています。年間8ヶ月位、11,12本の公演がありますが、演目は全てシェークスピアです。年会費を提供して、公演を支えるサポーターもいるようです。劇場の横には遊歩道があって,公園で発声練習やトレーニングをしている役者さんの姿に出会うこともあります。訪れた我々と、住んでいる人達が一体になって過ごせる感じがすごくいいですね。

昼は1時から、夜は8時からと上演時間が決まっていますが、お芝居が始まる前には屋外ステージに三々五々集まってコンサートを楽しみ⑭、終わった頃にお芝居が始まるという感じですね。終演後は、宿は基本的に朝食だけなので、帰りがてら近くのレストランで食事をしながら、お芝居談義に花を咲かせ、それから宿に帰るという感じですね、(担当:柳谷紀子)

→その②

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