第2回 若者と考える福島の未来の公共ホール

 2016年11月13日(日)、福島市市民活動サポートセンターにて、福島の芸術ホールを創る会未来シンポジウム『若者と考える福島の未来の公共ホール』の2回目を開催。
 今回は、福島市で活動する演劇関係者による世代を超えた話し合いが行われました。

【パネリスト】

  • 羽田 正雄:福島の芸術ホールを創る会代表。演劇集団ゼロとしても活動を続ける
  • 半澤 久美子:福島演劇鑑賞会 事務局長。大学時代は、福島大演劇研究会に所属
  • 斎藤 君子:市内で朗読活動を行う風の会と福島演劇研究会に所属。
  • 齋藤 勝之:福島市の社会人劇団・劇団120○ENで演出・役者として活動
  • 乾 優香里:福島大学演劇研究会ならびに劇団少女標本所属。福島大学4年。
  • 薄葉 彩佳:福島県立医科大学の演劇部による劇団瞬として活動。
  • 金澤 史苑:福島県北地区の演劇部OB・OGなどで活動する劇団24代表。
  • 和合 大地:劇団シャレにならない元座長。福島県立橘高校3年。
  • 大竹 琉斗:県北地区演劇部有志 劇団10時のおやつ代表。福島成蹊高校1年

―今回は、大人の視点を知るということで、福島市でこれまで演劇を創ってこられた皆さんもお招きしています。これまでの福島市の演劇活動の歩みと想いを教えてください。

羽田:職場の組合の演劇サークルに参加したのが演劇を始めたきっかけです。そこでは、色々な社会問題を取り上げて演劇で表現していました。私はそのサークルで、11作品くらいにキャストとして参加しました。その後、福島に来て「演劇集団ゼロ」という劇団を創り、福島大学の学生にも協力してもらいながら上演していました。現在は劇団員の結婚や転職などもあり公演は行っていません。
私の場合は、ただ好きなことをやるのではなくて、民主的な職場をつくるために演劇活動を行っていました。また、学生時代にベトナム戦争があり、反戦運動が盛んになる中で、ベトナムの人たちが文化運動をたやさなかった姿を見ていたんです。その時、「文化は世の中を支える力になるぞ」と感じましたね。
演劇を通して、沢山の方と知り合えました。そこで、福島の劇場の話にもなり、ホールを創る会が誕生したんです。

大竹:高校演劇部のコンクールで、僕たちの高校は成田空港建設時の成田闘争を扱った作品を上演しました。修学旅行に行くときに成田空港を使ったという、身近なところから選んだ作品です。当時のことを勉強したりして、知らなかった時代を知ることが出来ました。

半澤:演じる側も観る側も演劇を通して知ることが沢山ありますよね。私も演劇がなかったら今の自分がないと言えるくらいくらい、演劇で興味関心や人間関係が広がりました。
私の演劇との出会いは大学時代。福島大学の演劇サークル・鬼の会に入り、それと一緒に「演劇を観ること」も始まりました。高校時代から観ることに興味はあって、でもどうしたらいいかわからなくて…。大学で、演劇鑑賞会にも入会。次第に、「観ること」で満足するようになっていきました。
演劇というのは観る人もいないと成り立ちませんよね。最初は「演りたい」という想いからスタートしても、観るにつれてそう感じるようになったんです。今は、もっともっと観るプロになろうと思っています。ただ、楽しむだけではなくて、創り手の想いを受け止められるようになりたいですね。
 福島演劇鑑賞会は、1960年に「お芝居を福島で観たい」という想いの人たちが集って始まりました。56年間続けてきた会です。
1990年に福島演劇研究会と、演劇集団ゼロと劇団廣瀬座と一緒に30周年記念事業として、『イタチ』という作品を上演しました。プロの劇団も上演している作品ですが、鑑賞会主催の良かったなぁと感じています。地元で生きているからこそ解る、作れるものがあると感じました。

薄葉:私は、元々は演劇をやっている人に興味を惹かれて高校時代から始めました。入学した頃、福島県立医科大学の演劇部は、一時活動休止状態。先輩から声をかけてもらい、人が集って再結成されました。今でも演劇の魅力に取りつかれています。

君子:私は、「風の会」で、『この子たちの夏』という朗読劇を上演し続けています、高校時代に福女(現・橘高校)の演劇部で演劇をしていましたが、仕事をしながらは出来ませんでした。退職後、「この子たちの夏を読みませんか?」と、芸術ホールを作る会の呼びかけがあり参加しました。
風の会は、1999年12月にスタートした会です。翌年の7月には、テルサで発表しました。本が好き、読み聞かせが好きというお母さんたちが集まって行った公演。最初は声も出ない人たちでしたが、福島演劇研究会の宍戸さんに演出をしていただき、そのときは新聞やテレビなどマスメディアでも取り上げられました。センセーションを巻き起こしたと言われ、みんながやみつきになったこともあり、続けなければならないと続けた。
小中高などでも、朗読劇を発表していました。テルサ公演を最後に解散も考えましたが、その舞台が、震災があり中止になりました。その後いろいろな問題が起きていることを見て、「もう一度やらなければいけない」という想いで、今も活動を続けています。
私自身は、福島演劇研究会にも入り、また、山形県川西町で、劇団菜の花座にも所属し発表を重ねています。

 

―劇団活動が目指すもの

和合:演劇は総合芸術。いろいろな芸術がひとつになる可能性があると思います。ホールもいろんな芸術と、人が集える場所になればいいと思います。
文化は一足飛びでは成長しないと思います。そのためには、観客も成長することが必要です。芸術ホールに様々な人が集うことで、そこを中心に福島の文化レベルが上がっていくのではないでしょうか。

:劇団少女標本の公演の中で、美術研究会に背景画、合唱部に合唱、チラシの撮影を写真部に頼みました。交流も生まれただけでなく、作品も良く仕上がりました。関わった団体からも、とても良い感想が聞かれ、お互いに良い刺激になっています。

―芸術ホール構想について

羽田:4年前、ホールを作る会で芸術ホール構想を発表しました。能登演劇堂を設計した金沢市の浦さんに、実際に福島の町を歩き、文化施設を観て頂き、芸術ホールを創る会の基本的な考え方を理解してもらった上で、設計を頼んだものです。
勿論、ただ箱を作るのではなく、その中で利用者側が使いやすい、市民に愛される劇場にしたいと思っています。
現在福島市の公会堂がある松木町は、図書館も学習センターも公会堂と三館がひとつの敷地の中にあります。提案したホール構想では三館合同ですが、そこはこだわっていません。一番は、郊外ではなく、町の中心地に作って欲しいという一番ですね。

 

―芸術ホール構想を受けて

史苑:僕ら自身は、「まだまだお客さんに観てもうレベルに達していないかな」とも感じています。また、今福島市で使えるホールは、キャパシティが多いところばかりです。公演をしたくても、それだけ人を呼べる力はまだもっていないし、お金の面でも大変です。
小さく上演しやすいホールでレベルを上げていって、大きなホールを使えるようになっていったら嬉しいです。

羽田:構想の中には、もっと手軽に使えるミニシアターを考えています。可動式の椅子になっていて、客席も自由に組める形です。 若い人たちが自由に発表できる場と、そういう料金体系を要望したいですね。市民が使えない場になったら意味がありません。あそこに行ったら、何かがある。若い人たちが目を輝かせてやっている場が必要です。発表しあい、レベルを高めていける。若者から高齢者までがやりやすい環境を考えたいです。

半澤:メインホール800席も大切です。
東京から30人規模の劇団を福島に呼ぼうと思うと、交通費、宿泊費や出演料など含めて何百万円というお金がかかります。これを、チケット代でペイすると考えると、鑑賞会の場合800席がギリギリのラインです。
劇団の人に、生声で届けられる規模を聞いてみても800席とのこと。観続けるための人数として、800という数字があります。
第一回のシンポジウムでは、仙台の10-BOXの話もあがりましたね。金沢市にも24時間施設を使える芸術村というものがあります。色んな人がいろんなふうに使える場所も理想的ですね。

齋藤:劇団120○ENでは、社会人がほとんどで、なかなか稽古でも全員が揃いません。人が揃ったときにまとまった稽古時間をとれる合宿所もあったらいいですね。

薄葉:3年前に使用した時、こむこむは利用時間が厳しかったです。当時は19時完全退館。この中では、リハーサルの時間もゆっくり取れませんでした。利用時間ももう少し遅くまで使えると助かりますね。

君子:山形県川西町は、22時まで練習に使える場所があります。その施設で働く人のことを考えると早く終わるのが良いのかもしれないけれど…。いまの勤務時間を考えた時に、21時までだと時間が足りないですよね。

齋藤:21時以降の開館は市としては負担になりそうです。ホールや稽古場を管理できる指定管理者制度も必要だと思います。
現在、ホールを運営する事業団が福島で少ないというのは、利益にならないという問題もあるのかもしれません。

羽田:劇場がつくられるきっかけや、ホールとの街づくりに関して、視察をしていますが、うまくいっているところは、「目指すところ」をもっています。市民に愛される劇場にしたいと考え、活動することが大切ですね。
元々、私たちは指定管理者制度には反対でした。「民間は利潤が無いと…」思っていましたが、うまくいっている指定管理者制度の所は、そこで働いている人たちの意気込みが違うんです。想いがある人がいれば、うまくいきます。もちろん、労働時間を守りながらですが、使いやすい施設には“人”が大切ですね。
そういう人を育てていくのは、利用者でもあると思います。利用者と管理者との交流の中で、一緒に施設の使いづらいところと使いやすいところを考えていきたいですね。

 

―ホールの役割と私たちの活動

和合:プレイヤー側の成長も文化発展には不可欠だと思います。バンドマンたちは、楽器のコード進行を覚えてから人前で演奏しますよね。演劇は、人の言葉を喋るので、楽器で言う「コード進行」を覚えていなくてもある程度は出来てしまう。
音楽では、コード進行すらわからない人のライブを観に来るお客さんはいません。でも、演劇では、僕も含めてですが、基礎を知らない状態でやっている人もいるんじゃないかと。
また、僕はチラシに“身の丈に合わない”フレーズをいれています。大スペクタクル巨編とか、絶対にそれをやらなければいけない、自分を逃げられない状況に置くんです。観客もそれを期待して観に来る。それに僕らは熱量で応える。未熟ですが僕らの熱量はどんどん増していった感覚がありました。
プレイヤー側にはスキルと、熱気や覚悟が大事ではないでしょうか。命がけのものを作る。肺に穴が空くくらいのものを…(笑)、やれれば良いのかなと。
芸術ホールが何年後に出来るか解りません。ただ、計画が決まってから建設まで時間がかかりますよね。10年位はかかるかもしれない。それを猶予と考えて、福島で演劇をやる人のレベルも上げていくことも大切です。
福島は、東京や仙台にも近く、この街にいても鑑賞会など良いお芝居を観に行ける環境があります。また、この街で演劇を続けている先輩たちがいて、後輩がいる、成長しやすい土壌はあります。そうして学んだことは、次の世代に繋いでいくことで、福島全体のレベルが上がっていくはずです。
この場所と向き合って本気で―、劇場に骨をうずめるつもりで…肺に…、僕は福島テルサのど真ん中に墓を作る感じで、それくらいの覚悟をもって、やっていきたいです。

半澤:制度ではなくて、その時々に人が現れて変わっていくのだと感じますね。
前にホールの総会でいわきアリオスの職員さんが、「目の前の公園を利用している人たちが、トイレをアリオスに借りに来ても良いんです」という話をしていました。特別な人が集うのではなくて色んな人が訪れる、とても印象的な言葉でした。
演劇に触れないまま亡くなる人って、音楽や絵画などの芸術に触れずに…という人よりも多いと思うんです。それくらい、「劇場に行く」「演劇を観る」ということが、まだまだ特別なことと思っている方がいると思います。 シェイクスピアなどのイメージが強いと思うのですが、今の高校演劇をやっている皆さんは全くないですよね。この間の高校演劇のコンクールで、夫は、久しぶりに高校演劇を観たのですが、「緊張した身体じゃなくて、すごく自然に演じている。ビックリ。普通にお金を出してみるお芝居と同じくらい感動もしたし、面白かった。」と言っていましたよ。
演劇のイメージを変えていくためにも、誰でも入りやすい劇場が欲しいですね。

和合:行政が主体になったら公民館的な建物になってしまうのではないかと思ったりもします。僕の両親(詩人・和合亮一さん)は、この街で文化活動を続けてきました。その姿を子どもながらに見ていて「福島の人たちがどれだけ演劇に興味がないか」を感じました。
仙台や山形はいろんなことをやっているのに福島は企画が通りづらい。教育の事業は多いけれど、文化そのものを学ぶ機会がなく、敷居が高すぎたり、逆に低すぎたり…。催しものとして一回限りになっています。そうすると、ムーブメントにならないのではないかと思います。
必要なのは、オーガナイザーではないでしょうか? 創り手側だけでなくて、熱い志があり、イベントのことがわかっている人に運営して欲しいです。イベントをやってみたいけどやったことのない人にも、力になれる運営であれば使う人たちも増えて、活気も出来ていきます。結果的にヒトも集まっていく。
使う側、観る側、そして、イベントを作る側も大切です。

半澤:テルサが出来たときに、ただ貸館だけではなくて、そういう面も期待していました。開館時は、鑑賞会の人たちが中心になって、お芝居を作ろうと持ちかけ実現しました。オープン前に貸館をしてもらってワークショップをして…。ただ、どうしてもそのときから、人が変わってしまったんですね。そうすると自主事業として呼ぶものが変わり、人が入らなり、お金も尽きて、事業がなくなって…。
ただ、松本館長がずっといてくれているおかげで高校演劇のコンクールや発表会、勉強会も、あそこで出来るようになったことは、とてもありがたいですよね。
白河のホールでも、ホールを建てるまで進めた人たちと、オープン後の人たちが違うために、会館記念行事が当初の予定と変わってしまったそうです。そういうことはやめてほしいなと。

羽田:芸術ホールの職員は、公共施設であっても、2~3年で転勤させないで欲しいですね。仙台のえづこホールでは、出来てから現在まで同じ公務員の方が勤めているんです。その方は、ポリシーをもって続けています。目的をもって貸していけば、良い物が生まれる。逆に何もしなければ何もならない。
福島は現在、演劇活動が盛んです。その中で、ホールの職員の皆さんを育てるのも僕たちではないでしょうか。ただ、楽しむのではなくて、共有していくものができればいいと思います。これからの若い人たちに繋いでいく運動を続けていきたいですね。

About 福島の芸術ホールを創る会

View all posts by 福島の芸術ホールを創る会 →

One Comment on “第2回 若者と考える福島の未来の公共ホール”

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です